知られざる現代京都の超絶水墨画家(8)「藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(後編)」秋丸知貴評

図1 藤井湧泉《雲龍襖絵》2020年 大蔵院蔵

 

図2 藤井湧泉《嘯虎襖絵》2020年 大蔵院蔵

 

2020年夏、画家藤井湧泉が、大蔵院(兵庫県明石市)に新作《雲龍嘯虎襖絵》を描いた。前編の「虎」に続き、後編は「龍」を中心に紹介しよう。

龍は、中国発祥の想像上の動物である。水を司る神獣であり、一説には竜巻や暴風雨や大洪水への畏怖から生まれたという。おそらく、そこには蛇・鰐への恐れや、恐竜の化石への驚きも影響しただろう。いずれにしても、人里離れた深い池や海に棲息し、雷雲や降雨を自由に操り、天空を自在に飛翔するとされる。手には、何でも願いを叶える超常の宝珠(ドラゴン・ボール)を持つと言われる。

東洋の龍は、西洋のドラゴンと同一視される。しかし、ドラゴンが魔獣であるのに対し、龍は聖獣であるという違いがある。これは、同じ大自然の猛威のシンボルでも、西洋では人間がそれを征服しようとするのに対し、東洋ではそれを崇敬しようとする自然観の差異を表していよう。

中国では、龍の図様は元来自由であったが、宋代には皇帝の独占化が進み、明代には「二角五爪」が正式な龍の特徴と定められる。以後、この五本指の龍を臣下が用いると罰せられるので、指の数を減らして龍の眷属とし、上流階級は四本指、下流階級は三本指のものを使用するのが一般的となる。

龍の図様では、「三停九似説」が知られている。「三停」は、龍のプロポーションについて、首から肩、肩から腰、腰から尾までの三つの長さがそれぞれ等しいとするものである。また、「九似」は龍のパーツについて、角は鹿、耳は牛、頭は駱駝、目は兎、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、腹は蛟、項は蛇に似ているとしている。さらに、口の周りに髯髭が生え、喉の下に逆鱗(逆さに生えた鱗)が一枚あることがよく知られている。ただし、そもそも龍は空想上の動物なので、これらの特徴は時代や地域によって様々なヴァリエーションがある。

一般に、龍の図様が完成したのは南宋時代と言われる。特に、宝祐年間(1253-58)に龍図の名手と称えられたのが陳容(生没年不詳)である。陳容の龍図は、画面の隅々まで湿潤で濃淡に富んだ水墨表現を行い、龍が巻き起こす暗雲や波濤のダイナミズムの中で生き生きとした実在感を表現するところに特徴がある。確実な真作としてはボストン美術館の《九龍図巻》(図3)があり、清朝第3代皇帝の乾隆帝の所有印があることで有名である。

日本では、実物を見ることのできない龍を描き出すために、共に南宋の画家である陳容や牧谿(生没年不詳)等の龍図が参考にされた。実際に、伝陳容の《五龍図巻》(図4)が東京国立博物館に伝わっている。また、徳川美術館は、1267年に朝鮮から請来された伝陳容の《龍図》(図5)(重要文化財)と伝牧谿の《虎図》を対で所蔵している。また、1269年に描かれ大徳寺に《虎図》と共に伝来した《龍図》(図6)は牧谿の筆とされる。

 

図3 陳容《九龍図巻》1244年 ボストン美術館

 

図4 伝陳容《五龍図巻》東京国立博物館蔵

 

図5 伝陳容《龍図》13世紀 徳川美術館蔵

 

図6 伝牧谿《龍図》1269年 大徳寺蔵

 

基本的に、日本では陳容と牧谿の《龍図》が龍のイメージを形作ることになる。特に、龍の体や雲や波の形は陳容が参考にされ、龍の顔は牧谿が参照されたといえる。ところが、日本では次第に画面に比して龍の顔を大きく描き、体を雲煙の中に隠して描かないことが主流になる。そして、全体的に描写が簡略化されると共に、龍の表情がユーモラスになっていくのが一般的傾向である。

 

図7 単庵智伝《龍虎図》16世紀後期 京都・慈照院蔵

 

図8 長谷川等伯《龍虎図》(右隻)1606年 ボストン美術館蔵

 

図9 海北友松《雲龍図》17世紀初期 京都・勧修寺蔵

 

図10 狩野山楽《龍虎図》(右隻)17世紀初期 京都・妙心寺蔵

 

図11 狩野山雪《龍虎図》(右隻)17世紀 個人蔵

 

図12 狩野探幽《龍虎図》1671年 京都・興正寺蔵

 

◇ ◇ ◇

龍が天を統べる聖獣であるのに対し、地を支配する聖獣は虎である。また四神として、青龍は東を、白虎は西を守護するとされる。

禅語に言う「龍吟雲起・虎嘯風生」は、「龍が唸れば雷雲が湧き立ち、虎が吠えれば暴風が吹き荒れる」という意味である。古来、その両者の対峙する姿を描く「龍虎図」は、天地東西を治める最強同士が益々勢力を強めて陰陽相対する縁起の良い吉祥図案として尊ばれてきた。

鎌倉時代に中国から輸入された禅宗が盛んになるにつれて、室町時代以後日本ではそうした龍虎図が禅宗寺院や武士の邸宅に本格的に描かれるようになる。その際、龍図については陳容と牧谿が参照されたが、虎図については特に牧谿が手本とされた。

そうした中国伝来の龍図と虎図は、小品で数も少なく正確な容姿を伝えるにはやや難があった。そのため、日本では龍は妖怪の一種と見なされ怪異を示す三本指が主流化した。また、虎の雌は豹であるという誤解も生じることになる。しかし、逆にイマジネーションを大いに刺激し、日本の禅寺の襖絵等に巨大な龍虎図の名作を数多く生み出すことにもなった。やはり、画面に余白を大きく取り、次第に描写が簡素になると共に龍虎共に可愛らしくなっていくのが、日本の龍虎図の基本傾向である。

◇ ◇ ◇

日本の古都京都で4半世紀以上暮らす湧泉は、これまでそうした禅宗寺院に収められた龍図や虎図が、複数の襖の大画面に余白を生かしつつ巨大かつ軽妙に描かれた構図を深く研究してきた。その一方で、龍図の本場の中国出身である湧泉は、余白を生かしながらも粗略ではない、陳容のように緻密で濃厚な描写も目指した。

湧泉の描く《雲龍襖絵》(図1)は、五爪を持つ真正の龍がまるで今ブラックホールから出現したかのような異様な迫力を有している。画面全体を覆う濃密で湿潤な暗雲は、龍の呻吟に呼応して不気味にうねる奇妙な荒波と共に、大自然の底知れぬ威力を暗示している。私達はどうしてもそこに、昨今の大地震、大津波、超大型台風、ゲリラ豪雨、新型コロナウイルス等の自然災害の影を感じざるをえない。それでいて、禍々しくも品位を失わないその龍の霊妙な威容は、自然をコントロールできると過信する人間の自惚れを優しくたしなめているようである。

一方、《嘯虎襖絵》(図2)では、虎が拍子抜けするほど呑気に欠伸をしている。あまりに呑気すぎて、一見しただけでは虎ではなく猫に見間違えるほどである。しかし子細に眺めると、その柔らかく滑らかな毛並みは一本一本尋常でないほど精妙に描出され、紛れもなくこの虎が神聖な霊獣であることを具示している。その微笑ましい愛嬌ある表情は、鑑賞者に争ったり肩肘張ったりせずに平和が一番と和やかに語りかけているようである。また、傍にある虎の安住の地とされる竹林も、まだ弱々しい幼竹に過ぎないが、穏やかな陽だまりの中で原初の生命の持つ瑞々しさと神秘的な美しさを湛えている。

ここで興味深いことは、やはり龍の険吞さに対して、あまりにも虎が安穏としていることである。この意表を突くコントラストは、中国でも日本でも龍虎図として破格の表現である。さらにその対照効果は、龍が切り拓く暗闇の先が虎を囲む陽光に繋がり、黒と白、陰と陽、湿と乾、動と静の対比が加わることでより強調されている。

しかし、ここで湧泉の龍虎図は不調和なのではなく見事に調和している。なぜなら、龍の厳めしい威圧感に対し、穏やかに寛げるだけの心の余裕を虎は示しているからである。換言すれば、ここでは外的な強さと内的な勁さが見事に均衡していると言ってよい。

もし相互に力を誇示し、ぶつかり合うだけでは、いつまでも争いは解消しない。長い目で見れば、時にどちらかが引いたり受け入れたりすることも大切である。つまり、ここでは単なる均衡よりも一次元上の調和が達成されている。これこそ、湧水が日頃から志し実践している、古典的伝統を現代的感覚で再解釈した「新しい水墨画」である。

なお、大蔵院は、日本の標準時の基準となる東経135度子午線から約500メートルのすぐ傍に位置する。すなわち、湧泉の新時代の龍虎図は、正に日本の時空的中心で新たな陰陽相対を発揮しつつ、人心の賦活と安寧を強く深く祈念しているのである。

◇ ◇ ◇

大蔵院は、正式名称を見江山大蔵院と言い、聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗南禅寺派の仏教寺院である。約600年前の室町時代に、兵庫県明石市の大蔵に創建された。開基は、1441年の嘉吉の乱で有名な室町幕府の侍所所司の赤松満祐(1381-1441)の弟である赤松祐尚(?-1441)である。

勧請開山は、鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した禅僧中巌円月(1300-1375)である。円月は、中国元に留学して帰国後、禅宗の24流派の一つ中巌派を創始した。万寿寺、建仁寺、建長寺の住職を務め、五山文学を代表する漢詩人の一人とされる。朱子学を始めとする宋学にも通じ、数学者でもあった。

大蔵院は、2019(令和元)年に約200年ぶりに本堂を再建した。この時、第18代住職櫻木徳宗氏の依頼により、湧泉が本堂の襖絵を制作することになった。

2021年から、湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》は大蔵院で一般公開されている(詳細は大蔵院に要問合せ)。なお、関連作品が大丸心斎橋店の「水墨画家 藤井湧泉の世界展」(2020年10月7日~10月13日)で展示されたことを付記しておこう。

 

藤井湧泉公式ウェブサイト

大蔵院公式ウェブサイト
「龍吟虎嘯の襖絵 藤井湧泉画伯」

 

【初出】

秋丸知貴「藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》」『関西華文時報』第422期、2020年10月1日。(2022年6月9日改稿)

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。

2010年4月-2012年3月: 京都大学こころの未来研究センター連携研究員
2011年4月-2013年3月: 京都大学地域研究統合情報センター共同研究員
2011年4月-2016年3月: 京都大学こころの未来研究センター共同研究員
2016年4月-: 滋賀医科大学非常勤講師
2017年4月-2024年3月: 上智大学グリーフケア研究所非常勤講師
2020年4月-2023年3月: 上智大学グリーフケア研究所特別研究員
2021年4月-2024年3月: 京都ノートルダム女子大学非常勤講師
2022年4月-: 京都芸術大学非常勤講師
2023年6月-: 鹿児島県霧島アートの森学芸員

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」とは何か?
第4章 抽象絵画における純粋主義
第5章 抽象絵画における神秘主義
第6章 自然的環境から近代技術的環境へ
第7章 抽象絵画における機械主義
第8章 「象徴形式」としての抽象絵画

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考
第6章 ヴァルター・ベンヤミンの鑑賞美学――「礼拝価値」から「展示価値」へ
第7章 ヴァルター・ベンヤミンの建築美学――アール・ヌーヴォー建築からガラス建築へ

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■ 秋丸知貴『岸田劉生と東京――近代日本絵画におけるリアリズムの凋落』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――日本概念派からもの派へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

■ 秋丸知貴『藤井湧泉論――知られざる現代京都の超絶水墨画家』
第1章 藤井湧泉(黄稚)――中国と日本の美的昇華
第2章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(前編)
第3章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(中編)
第4章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(後編)
第5章 藤井湧泉と京都の禅宗寺院――一休寺・相国寺・金閣寺・林光院・高台寺・圓徳院
第6章 藤井湧泉の《妖女赤夜行進図》――京都・高台寺で咲き誇る新時代の百鬼夜行図
第7章 藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(前編)
第8章 藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(後編)
第9章 藤井湧泉展――龍花春早・猫虎懶眠
第10章 藤井湧泉展――水墨雲龍・極彩猫虎
第11章 藤井湧泉展――龍虎花卉多吉祥
第12章 藤井湧泉展――ネコトラとアンパラレル・ワールド

■ 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――「辞世」を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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