知られざる現代京都の超絶水墨画家(1)「藤井湧泉(黄稚)――中国と日本の美的昇華」秋丸知貴評

 

中国と日本の美意識は、どのように違うのだろうか?

例えば、中国の服はできるだけ余白を刺繍で埋めようとする。これは、豪華絢爛な美である。一方、日本の服はできるだけ余白を無地で残そうとする。これは、瀟洒淡麗な美である。

一般的に、中国では足し算の美意識、日本では引き算の美意識が発達した。ここで重要なことは、どちらが優れているかではなく、両方とも等しく人間の普遍的な美意識であることである。

中国の重厚で濃密な美と、日本の軽妙で洒脱な美――この二つの異質な美を融合しようと試みている画家がいる。中国と日本の二つの母国を持つ画家、藤井湧泉(ふじい・ゆうせん)である。

◇ ◇ ◇

例えば、湧泉が蓮を描いた作品を見てみよう。

《蓮》(2006年)(図1)では、まだ画面は中国風に大量の蓮の花と葉でほぼ埋め尽くされている。ところが、翌年の《蓮》(2007年)(図2)では、花と葉を一つずつに絞り、ほぼ対角線で左下半分の「色」と右上半分の「空」を分け、日本風の大胆な余白表現に挑戦している。そして、三年後の《蓮独鯉》(2010年)(図3)では、左側の4面で、やはりほぼ対角線で左下半分の「色」と右上半分の「空」を分け、中国風の濃密性と日本風の余白性の二つの美意識が弁証法的に昇華されている。これにより、画面にはこれまで誰も見たことのない新しい調和美が生まれている。

 

図1 藤井湧泉《蓮》2006年 個人蔵

 

図2 藤井湧泉《蓮》2007年 個人蔵

 

図3 藤井湧泉《蓮独鯉》2010年 京都・圓徳院蔵

 

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また、湧泉が牡丹を描いた作品を見てみよう。

湧泉の描くどの牡丹も、花冠は中国風に一枚ずつ丁寧に重厚濃密に描き込まれている。その一方で、その葉や茎は日本風に軽妙洒脱に抽象化され、気品に満ちた対照を生み出している。これにより、花々は非常に豪奢な写実美に満ち溢れると共に、極めて洗練された装飾美も兼ね備えている。

日本語の堪能な湧泉は、常々次のように述べている。「元々、中国と日本の美の起源は同一である。ただ、中国で唐宋の時代に完成した美意識は、日本に入って来た時に独自の発達を遂げた。私は、この二つの美意識を融合して新しい美の境地を生み出したい」。

また、湧泉は次のようにも語っている。「日本の装飾美――引き算の美意識を、中国に紹介したい。また、中国の写実美――足し算の美意識を、日本に紹介したい。中国出身で、日本人として京都で20年以上生活する僕ならば決して不可能ではないと信じている」。

 

 

図4 藤井湧泉《牡丹》2010年 個人蔵

 

図5 藤井湧泉《牡丹》2006年 個人蔵

 

図6 藤井湧泉《牡丹》2010年 個人蔵

 

藤井湧泉は、1964年に中華人民共和国江蘇省啓東市で生まれた。中国名を、黄稚という。早くから将来を嘱望され、中国全土で数万人に一人しか入学できない蘇州大学藝術学院を1984年に卒業後、翌1985年に北京服装学院の講師に採用されている。

その後、湧泉は画技を磨くために視野を海外に広げ、1988年にスイスの世界青年ファッションショーに招待されている。また、1993年には日本の京都市立芸術大学大学院美術研究科に研究留学している。1994年に藤井姓の日本人女性と結婚し、以後日本名藤井雅一として日本で活動した。来日後、急速に日本の伝統的な装飾美の魅力に開眼し、京都で和装・洋装の意匠図案等に長らく携わった経歴も持つ。

2007年に、湧泉は京都市美術館で開催された「墨の力――日中・墨人交流展」への出展を機に、絵画制作を本格化する。2008年には京都の一休寺に《虎》、2009年には奈良の西大寺に《佛画》、2010年には京都の高台寺塔頭の圓徳院に《蓮独鯉》、また奈良の元興寺に《牡丹》を収めている。

また、2012年には相国寺の山外塔頭である鹿苑寺(金閣寺)に《葡萄絵衝立》、相国寺承天閣美術館に《野葡萄二曲屏風》、2013年には相国寺塔頭の林光院に《鶴鳳衝立》が収蔵されている。2017年には、林光院に約80面の障壁画と襖絵を完成させて大いに話題を呼んでいる。

この間、2012年に、京都市立芸術大学学長や国際日本文化研究センター初代所長等を歴任した哲学者の梅原猛氏より「湧泉」の雅号を授かっている。この雅号は、梅原氏が湧泉の汲み尽くせない興趣の豊かさを見抜いたものであろう。

◇ ◇ ◇

湧泉は、花鳥画のみならず、人物画・静物画・風景画のいずれの分野でも卓越した創造力を発揮する。その堅実な技量は、たとえどれほど小品でもクローズ・アップに堪え、たとえどれほど大作でも細やかな鑑賞に応えるところに特徴がある。

何よりもまず、湧泉の絵画の魅力は、どれだけ長く鑑賞しても一切無駄や冗長がなく微動だにしないところにある。その秘密が、湧泉が古今東西の美術に精通し、中国や日本の画技はもちろん、油彩を始めとする西洋の厳格な写実画法にも熟達している点にあることも付言しておこう。

中国と日本の美的昇華は、口で言うほど簡単ではない。真剣に向き合えば向き合うほど、戸惑い途方に暮れることも多い。そうした時、湧泉はただ一心に研究を続け、人間性という共通点を手掛かりに、二つの文化の本質を深く探求することに専念する。そして、長年の努力研鑽の結果、ある日突然新しい美の境地が開ける瞬間があるという。

豊潤でありつつ、一つずつ線を消し、一つずつ色を減らし、限界まで削ぎ落した先に立ち現れる、まだ誰も見たことのない新しくて懐かしい美。それは、湧泉のもう一つの目標である、東洋と西洋を超える世界美術への確かな貢献でもある。

真実の本格的な国際芸術の一つが、ここにある。

 

藤井湧泉公式ウェブサイト

 

【初出】

秋丸知貴「中国と日本の美的昇華――黄稚(藤井雅一)」『亞洲藝術』第273期、関西華文時報、2014年7月15日。(改稿2024年5月27日)

 

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著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学グリーフケア研究所、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員、滋賀医科大学非常勤講師、京都芸術大学非常勤講師。

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」概念の変遷
第4章 抽象絵画における純粋主義
第5章 抽象絵画における神秘主義
第6章 自然的環境から近代技術的環境へ
第7章 抽象絵画における機械主義
第8章 「象徴形式」としての抽象絵画

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考
第6章 ヴァルター・ベンヤミンの鑑賞美学――「礼拝価値」から「展示価値」へ
第7章 ヴァルター・ベンヤミンの建築美学――アール・ヌーヴォー建築からガラス建築へ

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■ 秋丸知貴『岸田劉生と東京――近代日本絵画におけるリアリズムの凋落』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――日本概念派からもの派へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

■ 秋丸知貴『藤井湧泉論――知られざる現代京都の超絶水墨画家』
第1章 藤井湧泉(黄稚)――中国と日本の美的昇華
第2章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(前編)
第3章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(中編)
第4章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(後編)
第5章 藤井湧泉と京都の禅宗寺院――一休寺・相国寺・金閣寺・林光院・高台寺・圓徳院
第6章 藤井湧泉の《妖女赤夜行進図》――京都・高台寺で咲き誇る新時代の百鬼夜行図
第7章 藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(前編)
第8章 藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(後編)
第9章 藤井湧泉展――龍花春早・猫虎懶眠
第10章 藤井湧泉展――水墨雲龍・極彩猫虎
第11章 藤井湧泉展――龍虎花卉多吉祥
第12章 藤井湧泉展――ネコトラとアンパラレル・ワールド

■ 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――「辞世」を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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