「戦後京都の「色」はアメリカにあった!カラー写真が描くオキュパイド・ジャパン>とその後」
会期 :2021年7月24日(土) ― 2021年9月20日(月・祝)
会場 :京都文化博物館 2階展示室
2021年7月24日(土)から9月20日(月・祝)まで、京都文化博物館で非常に興味深い展覧会が開催されていた。「戦後京都の「色」はアメリカにあった! カラー写真が描く<オキュパイド・ジャパン>とその後」と題されたその展覧会は、進駐軍(GHQ/SCAP)の占領期に、その関係者によって個人的に京都で撮影されたカラー写真の展示だった。
開幕前からこの展覧会は話題となっていた。実は2020年11月から月に2回のペースで、「カラーで写された占領期の京都」というタイトルで、京都新聞に連載され、すでに注目されていたのだ。戦後間もない占領期の、ほとんど誰も知らない戦後の京都の街や人、あるいは進駐軍関係者の姿が鮮明なカラー写真に写されており、京都人にとっても新鮮な驚きがあっただろう。満を持してこれらの戦後「隔離されていた時期」のカラー写真が京都文化博物館でお披露目される予定であったが、緊急事態宣言が発出され、感染拡大している時期に重なり、会期途中で閉幕することになった。その意味で本書は、ほとんど見られなかった展覧会のカタログとしても二重に貴重な記録物となった(追記:2023年2月4日から4月2日まで「続・戦後京都の「色」はアメリカにあった!」として展覧会が開催され、カタログも増補新版として刊行された)。
本書は、占領下のカラー写真による貴重な記録というだけではなく、京都だからこそ発見できるものがたくさんある。京都はご存知のように、大きな空襲がなかった(その理由として、美術史家のウォーナーの助言により、寺社仏閣の多い奈良・京都は空襲を控えたとされていたが、戦後の広報宣撫政策であったと現在は否定されている)。
だから、われわれがよく戦後のドラマで知るような空襲/焼野原/闇市のような街の破壊と復興という、外観上の明確な切断がない。私は、戦前の大阪の近代建築のガイド本『大大阪モダン建築』(青幻舎、2007年)と、戦後から大阪万博までの大阪の都市の建築の変遷を紹介した『新・大阪モダン建築』(青幻舎、2019年)という本を共編著しているが、大規模な空襲で戦前の木造建築はほとんど残っておらず、戦後は復興都市計画により道路が広げられたり、高速道路などの高架が入り込み、かなり都心の様相が変わっている。
京都に関して言えば、火に強い鉄筋コンクリート造などの近代建築だけではなく、木造建築が多く残っており、大阪のように空襲による瓦礫を処理するために河川が埋め立てられたりもしていない。都心に高速道路も走っていないので、都市の外観に連続性がある。大きな空襲の被害を受けた日本の中核都市にそのような都市は少ないため、京都は戦前をうかがえる格別な街にもなっている。現在、京都市京セラ美術館で「モダン建築の京都」という展覧会が開催されているように、近代建築も多い。寺社仏閣から町屋、近代建築まで豊富な建築の歴史を眺めることができるのも京都の街の特徴だろう。
本書にも、神戸大学教授の長志珠絵による「占領と女性たち」というコラムで、「京都を見ると戦争前の日本がどういうものであったかわかって興奮します」(1947年8月27日E.Ryan/軍属女性)、「何一つ破壊の跡はなかった」「東京では一度も見られなかったような、色彩のある着物を来た人々」(H・トレイシー/英国人女性記者)などの証言が紹介されている。今、本書を見て我々が感じる「興奮」もそれに近い。つまり、もし空襲という都市の大破壊がなかったらどういう街だったのか、というもう一つの歴史をうかがうことができるのだ。
そしてそれが「カラー写真」という我々がもっとも撮影された時の風景を想像しやすいメディアで現れたということが重要であろう。日本において、民間にカラー写真が普及したのは、1960年代後半で、1970年の大阪万博では多くの来場客がカラー写真で撮影している。占領期の1945年から1952年は、それよりはるか昔である。現在、AIによるモノクロ写真からの着色は一般的になってきたが、「フィルムの質」が考慮されておらず、フィルム写真から類推してきた現実の光景とはどうしても乖離しているだろう。
本書で掲載されているフィルム写真は、コダック社のコダクローム、アンスコ社のアンスコカラーの2種類のカラーリバーサルフィルム原版からなるという。最近の若者には、リバーサルフィルムとネガフィルムの区別はもしかしてつかないかもしれないが、リバーサルフィルムは陽画といって、スライド映写機で上映して楽しむものだった。ネガフィルムは濃淡や色が反転した陰画と言われ、プリントして見るのが主だ。かつての写真愛好家は、フィルムと印画紙の組み合わせなどを考慮し、それぞれの色調を表現していた。ただし、カラーネガフィルムは当時まだ画像が粗くプリント代も高額であるため、普及していない。つまり、初期のカラー写真は、スライドで楽しまれるものであり、そういう意味では、本書掲載の写真もスライド上映機で投影されたスクリーンで見るのが一番、当時の状況に近い鑑賞法ということになる。
本書によると1950年に作成されたアマチュア写真においてカラー写真の割合は8.8%と低いものの、カラースライドでは1億枚に達していたという。このようなアメリカの写真文化がいち早く占領下の京都に持ち込まれたのが、本書に掲載された写真群ということになるだろう。その意味で、「もし日本に空襲がなかったら?」ということの他に、「カラー写真の文化が戦後に普及していたら」という、2つの歴史の「もし」が重なっていることも驚きを与えるポイントであろう。
とはいえ、これらの写真は、「もし」ではなく、歴然とした事実である。占領下の街の痕跡と、アメリカ人の視線とその視線を受ける日本人の様子が明確に反映されている。例えば、近代建築は、ほとんど進駐軍に占拠されている。撮影されている日本人の日常は、外国人かから見たもの珍しい風景ということになる。しかし、それだけにわざわざ日本人なら撮らない日常の風景がたくさんあり、現在の街や風景と比較できて面白い。ただ、京都に詳しくないとわからない部分も多く、撮影された場所、時期、人々のファッション、文化など、推定していく京都<カラー写真>研究会のコラムの謎解きが本書を立体的にしている。
もともとこの研究会の発端は、佐藤洋一(早稲田大学教授・都市史)が、占領期の写真を、2018年から2019年にかけて渡米し、全米35か所の図書館や資料館を周り、9万枚の写真複写したことと、衣川太一がインターネット経由で買い集めた占領期のカラー写真を調査するためにアメリカで合流して研究を始めたことにあるという。その中で、京都で撮影された写真3000枚を抜き出し、さらに370枚ほどに絞った。それらを地域資源として、「写真の里帰り」と呼び、どこでどのように誰が撮ったか、など再び京都の地と撮影者、被写体などを結び直していったのだ。
占領下のパーソナル写真は近年、多くの展覧会や書籍で紹介されているとのことだが、単一の撮影者によるコレクションが多いという。本書は複数の撮影者からな複合的なものだが、京都という空襲被害がなく、多くの撮影者の被写体になり、撮影地や撮影者を特定しやすいという環境がそれを可能としている。それらを、都市や建築、写真、女性史など各分野の研究者が集まり、研究会をつくり、立体的に読み問いた成果が新聞の連載と展覧会、本書に反映されたというわけである。
このような試みができるのも京都ならでは、といえる。一つの地域資源と位置付けているが、地域を超えて、日本文化の貴重な歴史と記憶をイメージでつなげなおす、梁やかすがいの役割を十分果たしているといえるだろう。他の地域でも「写真の里帰り」を実現したいとのことなので、京都で実施した視点や手法を基盤とし、転用しながら、新たな成果が見られることを期待したい。