千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館が、閉館または規模縮小をしての都心への移転の可能性を検討している旨が親企業であるDICから今夏発表され、美術界に大きな波紋が広がっている。DICでの検討が進み、新たな答えが出る時期になった。ここで改めて、美しい環境の中で維持されてきたこの美術館が持つ意義、そして今後の動向について、いくつかの視点から考察した内容を提示する。
郊外の地にあって先端の現代美術を牽引
DIC川村記念美術館は、郊外の立地でありながら、戦後の米国で異彩を放ったマーク・ロスコの《シーグラム壁画》と呼ばれる作品7点に囲まれた「ロスコ・ルーム」やフランク・ステラの作品群といった世界的に重要なコレクションを有し、ゲルハルト・リヒターなど時代の最先端をいく作家の展覧会を常に積極的に開催してきた。この美術館が日本の現代美術シーンにおいて重要な役割を果たしてきたのは間違いない。
バーネット・ニューマン《アンナの光》の売却とコレクションの方向性
残念ながら、同館が所蔵し、専用の特別室で常設展示していた米国抽象表現主義の大家、バーネット・ニューマンの大作《アンナの光》は、DICによって2013年に売却されてしまった。これは、日本にとって何物にも代えがたい「損失」だったと筆者は見ている。来訪者にあれほどの心の安寧をもたらす空間は、稀有だったからだ。
そもそもDIC川村記念美術館は財団化されず、作品は企業の所有のまま運営されてきた。それゆえ、作品を売却しやすく、企業の経営状況に左右されやすいという側面があった。しかし、たとえば「ロスコ・ルーム」にある7点の作品が万が一ばらばらに売却されれば、芸術的価値は半減し、経済的価値も激減するだろう。また、「ロスコ・ルーム」の作品群は、作家が同じ場所で公開することを前提に制作したものだった。まとめて同じ所有者に売却されたとしても、秘蔵されれば作家の制作時の意図に反することにもなる。《アンナの光》の売却を反省の糧として、今後のあり方を考えてはどうだろうか。
都心への移転にメリットはあるのか?
一方で、仮に美術館が都心に移転することになった場合のメリットをあえて考えてみる。地価の高い場所に「ロスコ・ルーム」のようなスペースを確保することは容易ではないだろう。だが、実現すれば、より多くの人々に現代美術に触れる機会を提供できるかもしれない。一方、現在の「ロスコ・ルーム」と同じような部屋を作ったとして、ロスコの作品ゆえに成立しうる「瞑想空間」がはたして都心で存在しうるのか。十分な検討が必要だ。
米国の現代美術を特色とする美術館としての可能性
DIC川村記念美術館の所蔵品はレンブラントの自画像からモネなどの印象派、そして現代美術まで幅広い。中でも他館にない強みといえるのは、米国抽象表現主義等の現代美術コレクションだろう。質の高いコレクションの下で、優秀な学芸員を多数育ててきた実績もある。たとえば、この特徴を生かし、世界に向けて「日本の美術館で、米国抽象表現主義等の現代美術を深く探求できる」というメッセージを改めて発信することで、企業にとっても新たな価値の創造につなぐこともできるはずだ。本来、インクを主力商品としたDIC自体が、世の中のクリエイティビティに貢献する製品を生み出してきた企業だった。通じる信念を守ることには大きな意義がある。
たとえば、佐倉市の美術館はそのままにしておく中で、現在よりは小さな展示スペースを都心に作って、コレクションの一部を入れ替えながら常時展示するだけでも、企業は新たな価値を社会に提示することができる。カンディンスキー、エルンスト、マグリット、ジョセフ・コーネル、サイ・トゥオンブリーなど、現代美術の歴史を一望できる質の高いコレクションを通覧できる環境は、アートに目を向けている現代人にとって、計り知れない価値を持つ。世界から感性の高い人々を呼び込む素材にもなるだろう。
DIC川村記念美術館が仮に閉館すると、日本の美術界にとって大きな損失になることは間違いない。これを「危機」と捉えて難局を乗り越え、よりよい形で美術館を存続させるためには、企業と社会が一緒に考えながら、新たな可能性を模索していく必要がありそうだ。